北京国際空港からバスで駅まで行き、そこから安宿へ。ドミトリーに泊まるとやっぱり『旅をしてる』気分になる。
荷物を置いて、すぐに晩飯を食いに外に出ると、中国特有の埃っぽさと肉の臭いがなんとなく懐かしい気分にさせる。
翌日、9時ごろ起きてとりあえず天安門広場へ。すっかり忘れていたのだがこの日は土曜日。
土曜日じゃなくても人だらけなんだろうけどそれに輪をかけて人、人、人。ただでさえ中国人がわんさか居るところへもってきて欧米、日本からのツアー客で更にごった返す。前門から天安門方面へ向かうと、まず『毛主席記念堂』がある。入り口がどこだか分からないぐらい列がとぐろを巻いているのを見て、さっさと諦め、故宮へ。これは諦めるわけに行かない。
その後、街をブラブラしてその日は終了。
その翌日、朝からローカルバスを駆使して万里の長城へ。
今まで俺が訪れた歴史的人工建造物ナンバー1はコロッセオ、ナンバー2はタージマハルだったのだが、あっという間にナンバー1の座に着いてしまった。
強烈な日差しで暑い中、何時間も長城でボケーっとし、夕方市内に戻り、駅で翌日の大同行きのチケットを買う。
北京から大同までは約7時間。駅の時刻表を調べると朝8時35分発の鈍行列車があった。
これなら大同に16時頃着いて、宿探してちょっと町をぶらつくには最高だと思い、硬座チケットを購入。
そして、大同行きの朝。余裕を持って朝6時30分に起き、シャワーを浴びて7時に宿の前でタクシーを捕まえる。
この列車、北京駅発ではなく、北京北駅という、俺がいた宿からはちょっと離れた駅から出る列車だった。
まあ「それでも1時間30分もみとけば余裕だろ」と思っていた。タクシーは北京北駅を目指して走り出す。
ラジオから流れる中国語に耳を傾けながらふと気付く、「・・・渋滞にはまってる」
時計を見ると7時30分になっていたが「まあ、それでもまだ1時間あるからな」とタカをくくっていた。
すると英語の通じない運転手が時計を指差し何か言ってる。どうやら時間を気にしてるらしい。
俺は列車のチケットを見せ「まだ1時間あるから大丈夫だろ」と言わんばかりに余裕の笑顔を見せた。
・・・が、運転手は笑ってない。
それどころか、そのチケットを見せた瞬間にその渋滞から出ようと4車線が完全に車でうまってるところを次々と車線変更して行き、違うルートに入る。
「あれ?もしかしてやばいんか?」と俺もそこで認識し始めた。
そのうちタクシーの運転手がしきりに中国語で俺に何かを訴えるようになった。
信号で止まった瞬間などを利用して、筆談を交わすと、どうやら「北京駅で降ろすからそこから地下鉄使って北京北駅の近くの西直門駅に行け」と言ってる。
北京駅に到着したのが8時。ここから西直門駅までは18分と書いてある。
地下鉄の乗り降りを含めると25分ぐらいはかかるであろう。そして西直門駅から北京北駅までは200mある。ダッシュしてもいいが荷物を持っているのでオート三輪を捕まえたほうがいい、などと考えながら地下鉄に乗る。
がしかし道路が渋滞してりゃ、地下鉄もラッシュ。当然2、3分遅れて西直門駅到着。
なんでこんなに人が増えちまったんだこの国は!!
人を掻き分け猛ダッシュで階段を駆け上がり、地上に出てやっぱり人を掻き分けながら、オート三輪の運転手のところに辿り着き、8時35分発のチケットを見せて「とにかく急げ!」という仕草をすると、それを察して運転手も急いで発進。この時点で8時30分。
ところが、オート三輪もまた、他のオート三輪を掻き分けなきゃ進めない。恐るべし中国!
ちなみに中国の駅は、入り口は必ず一つで、荷物チェックをしなければ列車の待合室に入れないようになっている。
がしかしこの運転手、何を血迷ったかその待合室と線路を挟んだ反対側に着けやがった。
俺が乗るべき列車は見えてるのに入り口が分からん!すると発車のベルが。もう入り口がどうのという問題ではない。
俺はダッシュで駅を通り過ぎ、裏の工事用の入り口から線路に飛び出しホームへ向かう。とにかく走る。周りでは列車の整備点検の連中が俺に何か言ってる。
中国語が分からなくても「そこからじゃ乗れないぞ!」と言ってるのは明らかだったが、そんなもんはシカトしてとにかくホームへ走る。めっちゃ本気で走る。
しかし、あと数メートルでホームに辿り着く、というところで無情にも列車は走り出してしまった。そしてどんどん加速する列車を見送りながらカナダナイズされ、こじゃれた俺は思わず「Shit!!」と叫んだ。
するとたまたま近くにいた駅員がなにやら話しかけてきた。当然中国語で。物凄く落ち着いた物腰で。
俺はチケットを見せてメモを取り出し「次の大同行きは何時?」と書くと、そのメモに列車の番号と時間を書いてくれた。
次の大同行きは19時25分。今、8時35分。
とりあえず駅の窓口へ行き、これまた筆談で、現在持っている乗り遅れたチケットにスタンプを押してもらって、そのチケットで夜の列車に乗れることにはなった。
が、それから約11時間、やることがない。仕方がないので駅の近くに荷物を預けて西直門駅まで歩き、地下鉄に乗って天安門の横の中山公園に。そこのベンチでたっぷり時間を潰して再び北京北駅へ
この旅のしょっぱなの移動からこれじゃ、先が思いやられる・・・。
北京で列車に乗り遅れた為に、大同到着16時だったはずが大同到着深夜2時30分に。・・・こんな時間に列車から降ろされたってどうしようもねえだろ!
ということで、夜を明かすために駅の出口からそのまま駅待合室に向い、ベンチに横になり朝6時ごろタクシーを捕まえて安い宿を探す。
が、なかなか見つからず2、3件まわったが寝不足と寒さによりある程度のホテルで妥協してしまった。・・・とにかく今すぐ寝たい。
7時ごろチェックインし、ベッドに横になるとそのまま2時間爆睡してしまった。
9時ごろ目を覚まし、シャワーを浴びようとバスルームへ。しかし電気がつかない。「あれ?」と思い、中に入り蛇口をひねってみるも水が出ない。
すぐさま廊下にいた従業員の若い女の子を呼び「電気もつかないし、水も出ない」と主張すると、俺のメモに「今この一帯で停電してる」的なことを書き、「ハッハッハ!」と笑う。「ハッハッハ!」じゃねえ!
すると向かいの部屋のドアが開き、中から中国人が出てきて大声で文句を言い出す。何を言ってるかは容易に想像がつく。と思ってると、今度は隣のドア、そしてその向かいのドアと次々に中国人が出てきて叫び出し、普通のホテルの廊下がたかだか停電で軽い暴動のような状態になる。これぞ中国!
まあ、日本人である俺としてはこれ以上不毛な抗議を続けても仕方ないので、外出の用意をして観光へ。駅へ向かって歩いていると、周りの店は軒並み真っ暗で、信号は完全に消えている。しかし、普段から信号になど頼らない中国人たちは普段どおりの”交通ルール”で車も自転車も歩行者も往来してる。停電になってもあまり影響ないようだ。
さて、大同では2ヵ所、絶対に訪れたいところがあった。まずは言わずと知れた雲崗石窟。そしてもう1ヵ所は断崖絶壁に建っている懸空寺。雲崗石窟は大同市内から約30km、懸空寺は約80km。
遠いほうから行こうと思い、雲崗石窟は翌日行くことに。懸空寺への行き方は良く分からないが、駅に行ってその辺の奴に聞けば何とかなるだろうと思い、駅でその辺の奴に聞く。というか懸空寺と書いたメモを見せる。
するとたまたまそばにいたオート三輪のにいちゃんが懸空寺行きのバス停まで連れて行ってくれた。
そこで『大同⇔懸空寺』と書いてあるバスに乗る。バスが発車し、料金を徴収しに来たにいちゃんに懸空寺と書いたメモを見せ、料金を払う。
すると、俺の隣に座ってた奴が俺になんか言ってる。う〜ん、分からん。
とりあえずそのまま乗ってると40分ぐらい走ったところでバスが止まり、先ほど料金を徴収しに来たにいちゃんが俺のとこに来て、付いて来いという仕草をする。
なんだか分からんが付いて行くとバスから降ろされ、20代と思われる白タクの男を紹介された。そこには他の白タクもいっぱいいて、俺以外の中国人もバスから降り、白タクに乗る。
どうやら俺が乗ってたバスは懸空寺には行かないようだ。表記されてたにもかかわらず。
何人かの乗客を降ろしてバスは走り去り、わけの分からんところでとりあえず白タクに乗る以外の選択肢は無くなった。
白タクで走り出し、しばらくすると運転手のにいちゃんが「懸空寺に行きたいのか?」と中国語で話し始めた。必殺のメモを取り出し、そこから筆談が始まる。
するとどうやら懸空寺なんかよりも恒山という山があってそっちの方がすごいらしい。「じゃあ、その恒山へ行け」と言うと「アルバイウォーシークワイ(250元)」と言う。・・・来た来た。
まずはじめにどこまで連れてってくれて250元なのかを確認しなければならない。当然筆談で。
俺がそれを認識するまでに15分ぐらいのやりとりがあったが、どうやらここから恒山、懸空寺と周り、大同市内行きのバス停まで連れてってくれて、しかもそこから大同市内までのバス代はそいつが払ってくれる、ということらしい。なるほど、それならいいか。
次に料金交渉。
今この状況で中国語が話せない俺が恒山に辿り着くには多少ぼられてもこいつに頼るしかないのだが、それでも250元と言われてそのまま払うわけには行かない。交渉の末、込み込みで200元で決着。ぼられてる気もするが、それなりに恒山は凄かったので良しとしよう。
夕方市内へ戻り、パリパリになった髪を洗うためにホテルへ戻るが、バスルームの電気のスイッチを入れてがっかりする。駅から近い地域の電気は復旧してたのだが、俺のホテルがある地域はまだらしい。
ここで翌日のフフホト行きを決意する。
あと、この町で見るべきは雲崗石窟のみなので、午前中から観光して夕方の列車に乗ればその日の夜にはフフホトにいられる。
ということで駅に行き、翌日、5月17日17時発の硬座を買った・・・つもりだった。
どうせホテルに戻っても停電なのでついでに駅前の食堂で飯を食う。駅前一等地なのに当然のごとく英語が通じない店で飯を食いながらふと思った。
「あれ?今日は5月16日。駅の電光掲示板は5月16日から19日までの列車の空席状況が出てたっけか?確か窓口で一番早い日付をメモに書いて出したような・・・。」と持ってるチケットを確認すると、5月16日現在で5月16日17時発になってる。間違って買っちゃった。っていうかあの時点でそのチケットを買えちゃったことが凄い。
とりあえず、飯を食い、ビールをあおってもう一度駅へ。チケットに日付変更のスタンプを押してもらって、列車には乗れるけど、座席番号の無い無座扱いになった。
まあ全席指定の3人がけに4人座るのが常である中国人にとっては、座席番号もクソもないからいいか。
翌日、雲崗石窟に感動を覚え、フフホトへ向かったのだった。
今回の中国来訪の目的の一つとして、フフホトにある内モンゴルの民芸品工場の視察があった。
日本在住の中国人で知り合いがおり、その知り合いの友人がフフホト出身で案内してくれることになっていた。
しかし、北京到着時点で日本在住の知り合いからメールが届き、その友人は今上海の近くにいるからフフホトまでは来られないと知る。
で、とりあえず住所を教えるから行ってみて、と言われ教えられた住所が『フフホト市新城区机場の1キロメートル』。
・・・う〜ん、”1キロメートル”とはまた変わった住所だねぇ。
そして大同でメールチェックをして嫌な汗をかく。ネットカフェのパソコンがWindows98で日本語が打てず、しかもネットワークの問題だかなんだか分からんが俺のメールアカウントにアクセスできない。
ということは唯一の手がかりである、日本在住の中国人の知り合いにコンタクトが取れない。しかも北京であれだけ英語が通じないのにフフホトなんぞでまともに英語が通じるわけがない。あるのは『フフホト市新城区机場の1キロメートル』というダヴィンチ・コードかと思わせる住所のみ。「やばいなぁ」と思いながらもとりあえず列車に乗り込む。
大同でチケットを間違って買ったために俺のチケットは座席なしの無座チケット。フフホト出発時点で当然席が埋まってたので、デッキで立ったり座ったり。
最初に止まった駅で乗客が少し降りたので、すかさず空いてる席に座る。これが中国の列車の乗り方。
中国の列車は通路を挟んで3人がけが向かい合っての6人がけと2人がけが向かい合っての4人がけとで構成されている。俺は音楽を聴きながら4人がけのほうに座っていた。
なにげなく通路を挟んだ6人がけのほうに目をやると、若い女の子がなにやらパンフレットを取り出して熱心に他の5人に説明している。
俺はそのパンフレットに目がとまった。『ECC日本語学院』と書いてある。
迷ってる暇などない。すぐさま日本語で声をかける。「日本語話せるの?」しかし、いまいち通じない。そこで英語で話すと、理解してくれた。
名前は櫻桃と書いてインタオ。フフホトの大学に通う24歳の女子大生で今年の10月に日本に留学しに行くという。今は日本語はほとんど話せないが、簡単な英語なら理解できるようだった。
その後、英語と筆談を交えてコミュニケーションをはかり、明日一緒に昼飯を食おうと約束をした。
翌日、午前中にチャリンコを借りて適当に観光し、午後からインタオとその友人のリンジュとともに昼飯へ。
モンゴル料理の店に連れて行ってくれて、彼女らはその後も俺をフフホト観光に連れて行きたかったらしい。
が、しかし気持ちはうれしいが俺には行かなければいけないとこがある。『フフホト市新城区机場の1キロメートル』だ。
ウェブサイトを使って内モンゴルの民芸品を紹介しようと考えてる、と説明しこの住所を見せると、一緒に探してくれるという。
しかしこの住所、現地人でもさっぱり分からないらしい。その工場の名前は分かっていたので、名前と一応この住所をメモに書いてインタオに渡す。
モンゴル料理を食べながら、インタオもリンジュも友人に電話をかけまくって聞いてくれたが、いまいち分からないらしい。
そこで、インタオがその店の女主人に尋ねる。するとその女主人が他の席にいた客に聞いてくれて、正確な位置は分からないがとりあえずの方向は分かったらしい。”机場”は空港を意味し、とりあえずタクシーで市内から15km離れた空港のほうへ。
インタオが運転手に住所を書いたメモを見せ、運転手も空港の近くをゆっくり走って、時には止まって看板をチェックしてくれるがそれでも見つからない。
空港に到着しタクシーを降りて施設内に入り、職員に聞きまくる。それでも誰一人として分からない。
この時点ですでに夕方4時。日差しが強くてTシャツ1枚でも汗ばむ。
そろそろ諦めるしかないかな、と思っていた時に空港の郵便局が目にとまり、インタオも同じことを思ったらしく聞きにいく。すると郵便局職員が知っていた。さすが郵便屋。ここから3〜4キロ先だというのでまたタクシーを捕まえ、運転手に事情を説明し、探してもらうことに。
これですぐ見つかるだろうと思いきや、そうでもない。タクシーの運転手も車を止めて歩行者に聞いたり、食堂があればまた車を止めてインタオが聞きに行ったりと、俺としてはもう申し訳ない気持ちでいっぱいになり始めてた。
そして更に徐行を続け、ついに発見!!
俺もうれしかったが、それ以上にインタオ、リンジュのほうが喜んでいた。
工場に入って行きボスに会い、事情を説明することに。しかし、ビジネスの話を通訳できるほどインタオ、リンジュも英語が達者でない。
俺はかばんから日中の電子辞書を取り出し、なんとか説明しようと打ち込み始めた。すると、たまたまその社長室のソファに座ってた女性が英語で話しかけてきた。
「Have you been here for business?」おおっ!英語だ!やった英語だ!
話を聞くと、彼女は内モンゴル出身だけど今は深センに会社を持つ女性起業家で、俺と同じ目的でたまたま今日ここに来たらしい。で、通訳をしてくれるという。なんとラッキーな。
その後工場をくまなく見学し、通訳のおかげボスともコミュニケーションを取り、その女性起業家とは今後の協力を約束してインタオ、リンジュとともに市内に戻った。
翌日、友人から借りた『地球の歩き方2001〜02』では紹介されてないというだけの理由で、見どころは何にもなさそうなパオトウへ。
自転車を借りて走ったが地図がないので迷子になって、しかも結局何もなかったという結論に達し、一泊の後に見どころ満載の古都西安に向かった。
それにしてもインタオが日本に来た際には恩返しをしなければならないと心に誓うのであった。
パオトウから約25時間、西安に到着したのが午前10時30分。宿を探す前にまず駅のチケット売り場へ。
北京行きの空席状況によってはここから直で北京に戻るのではなく、龍門石窟で有名な洛陽に寄ろうと考えていた。
がしかし、電光掲示板を見てすぐに断念。
西安発北京行きは1日10本近く出てるが、硬臥は2日後まで全て埋まっていた。さすがシルクロードの拠点。駅周辺は列車待ちの人々で溢れ返っている。
西安からでも買えない北京行きのチケットが省都でもなく、ましてや途中駅の洛陽で買えるわけがない。
北京発成田行きの飛行機を考えると、ここで3日後の北京行き硬臥チケットを買う以外選択肢は無い。
45元のドミトリーに泊まり、肉汁いっぱいの水餃、蒸餃を毎晩堪能し、大したトラブルも無く次々と観光をこなしていた。
西安2日目。この日は兵馬俑、秦始皇帝の墓、楊貴妃が入った温泉『華清池』と周っていた。その華清池に入る前に遅い昼飯を食いにある食堂に入り、ビールとラーメンを注文すると、その食堂のよく喋るお母さんが日本人の俺に興味を持った。
筆談で話すうちに隣のテーブルにいた客、その店の子供、隣の店のおばちゃんとどこからともなく暇つぶしに集まってくる。そしてついにはお土産品を売りつけるおっさんまで。
このおっさん、ラーメンをすする俺の向かいに座り、大きさ15センチほどの木で彫った、正に観音開きの観音像を必死にアピールしてくる。
「ゴッジュウゲン。」と日本語で言い、俺の昼飯を邪魔する。首を横に振ると「ハウマッチ?」と今度は英語で。いやいや、ハウマッチも何もいらねーっつうの。
そこで俺が「イークワイ(1元)。」というと食堂のお母さんは陽気に大爆笑をし、おっさんは「イークワイなんて・・・。」と苦虫を噛み潰したような顔になる。
で、諦めるかと思いきや今度は「センエン。」と言う。こらこら、1000円は66元でさっきの「ゴッジュウゲン。」より値上がりしてるじゃねえか。
そこで俺が『1000円=66元』とメモに書くと、「ハウマッチ?」とまた始まる。
俺がまた「イークワイ。」というとお母さんは爆笑、おっさんは苦虫。そしてまた「ゴッジュウゲン。」
結局ラーメンを食いビールを飲み干し、お母さんに昼飯代を払うまでずっとおっさんは俺の向かいで苦虫を噛み潰してた。ご苦労さん。
その後は唐代の旅人玄奘にまつわる寺を見て周ったりして、古都西安をしっかり満喫して北京
へ向かったのであった。
