

モスクワ発の便がカイロに着くのが深夜0:30。その時間に市内に出て宿探してチェックインしても無駄な気がしたので到着日は空港で夜を明かそうと決めていた。
そしてカイロ上空。飛行機が着陸態勢に入ったその時、思った。「どうせ空港で夜明かしするならカイロで宿は取らずにルクソールまで行っちまうか」
閃きであり思い付きでありいつものことである。
ということで到着後、到着ターミナルではタクシー運転手の勧誘が邪魔なので出発ターミナルに行き、そこのベンチで横になり朝を待つ。
明け方5時頃、バスで市内へ向かう。
座席がギシギシと鳴るバスに乗り込み、切符切りのおっちゃんに10ポンド札(1ポンド約20円)を渡すと黒ずんだヨレヨレの1ポンド札9枚と50ピアストル(0.5ポンド)1枚返され、その汚い札を手にした瞬間に「ああ、これが旅だ」と実感した。
が、感慨に耽っている場合ではなく、俺はルクソール行きのチケットをゲットするべく鉄道駅まで辿り着かなければならないのだ。空港からのバスが到着するのはタフリール広場、鉄道駅があるのはそこから少し距離のあるラムセス広場。
ノンエアコンで全開にされた窓から入ってくる風の音と座席の軋む音でうるさい中、切符切りのおっちゃんに近寄って大声で尋ねる。「このバスの終点はタフリールかい?」するとおっちゃんは「ハァ?」・・・通じない。そしてなんか言ってる。
おそらくガイドブックに書いてあった”タフリール”という発音が通じてないのだろう。そこで日本で用意しておいたガイドブックのコピーを見せる。そこには日本語表示と共にアラビックでの表示もあったのだ。おっちゃんは「ああ、タハリール、タハリール」と言い、そこが終点だと教えてくれた。
表記すると”タフリール”なのかもしれないが発音は”タハリール”らしい。そしてこれに限らず、ガイドブックで”フ”となってるところは”ハ”と発音した方が通じることが判明した。
終点のタハリール広場に着き、他の客が降り始め、そこで俺は運転手に地図のコピーを見せて指差し「ラムセス駅に行きたい」と告げる。いまいち英語の話せない運転手は首を横に振りながらなんか言ってる。そして切符切りのおっちゃんも寄ってきてなんか言ってる。バスを降りかけてたおっちゃんも覗き込みなんか言ってる。全員アラビア語で。・・・わかんねえ。
するとそこへ終点に到着し、始発になったバスに別のおっちゃんが乗り込んできた。当然寄ってくる。そしてこのおっちゃんは英語が話せるのだ。
その救世主たるおっちゃんに訴えかけ、ラムセス駅に行くにはここからどうすればいいのか尋ねるとおっちゃんはバスの運転手と相談し、バスが走り出した。そして「大丈夫だからそこに座ってろ」と言う。
数分走り、とある交差点でバスが減速をし始め、おっちゃんが「あの先の道を左に歩いていくと駅だから」と教えてくれた。
朝7時前、駅の切符売り場に辿り着き「今夜の夜行でルクソールに行きたい」と言うと「今日のチケットは埋まってて、明日は朝7:20発ならある」と言われ、仕方なくその時間のセカンドクラスの切符を購入する。
ルクソール行きが取れなかったためにその日の宿を探さなければならなくなり、鉄道駅から地下鉄でタハリール広場へ戻る。ここ、タハリール広場周辺には安宿が多くあるのだ。目当ての宿に行き、難なくチェックイン。どうやら夏季である5月は観光シーズンではないらしく、これ以降も宿には不便しなかった。
さて、朝8時過ぎにチェックインし、シャワーを浴び、さっぱりしたところで今日の予定を考える。・・・までもなくギザの三大ピラミッドに向かう。カイロにいてまずこれを見ないわけにはいかない。
ガイドブックのコピーで行き方をチェックするとタハリールから地下鉄でギザ駅まで行って、そこから少し距離があるようだった。「ま、とりあえずギザ駅まで行ってみっか」ということで地下鉄でギザ駅へ。
ギザ駅を出てとりあえず歩き出す。すると当然のようにタクシー運転手が寄ってきて「ハロー、タクシー?」と言うので俺は「バス停はどっち?」と聞くと、運転手は「バスかい?バス停はあっちだよ」と指差したのでその方向に歩き出した。
するとそのタクシー運転手が俺の横についてきて言った、「ピラミッドかい?タクシーはどうだい?」
俺「ああ、タクシーね。ところでバス停はどっち?」
運転手「バス停はあっち」(と進行方向を指差す)
俺「ありがとう」
一呼吸置いて運転手が言う、「ここからピラミッドまでは9キロあるからタクシーのほうが楽だよ」
俺「ふ〜ん。で、バス停はどっち?」
運転手「バス停はあっち」(と進行方向を指差す)
俺「ありがとう」
また一呼吸置いて運転手が言う、「ピラミッドなら5ポンドで行ってあげるよ。どうだい?」
俺「ふ〜ん。で、バス停はどっち?」
運転手「バス停はあっち」(と進行方向を指差す)
俺「ありがとう」
またまた一呼吸置いて運転手が言う、「ヘイヘイ、ピラミッドまでは9キロ、タクシーは5ポンド、でもって俺はタクシーの運転手だ」
俺「ふ〜ん。で、バス停はどっち?」
運転手「バス停はあっち」(と進行方向を指差す)
俺「ありがとう」
どうやら聞かれると答えずにはいられない質らしい。
そしてバス停に到着。バス停と言ってもその辺の道端に人が立っていて手を上げて走ってきたマイクロバス(ワゴン車)を止めるだけなのだが。
それでも俺が最初に歩き出した方向はピラミッドとは真逆だったのでこのタクシー運転手の道案内がなければとんでもないところに行ってしまっていたであろう。
結局、道案内人兼タクシードライバーは俺が0.5ポンドのバスに乗るのを見届けて去っていった。とにかくエジプト人は人がいい。観光客慣れもしているのだが・・・。
ギザの三大ピラミッド。世界的に最も有名なこの建造物を今まで映像でも写真でも散々見てきた。そしてピラミッドの西側は砂漠だが、東側は完全な街で、舗装された道路の両側には建物が立ち並び車もビュンビュン行き交っておもむきなどありゃしない。
それでも、大通りの向こうの丘に巨大な四角錐が見えた瞬間は両腕に鳥肌が立った。圧倒的な存在感である。
翌朝7:20の列車に乗り、夕方ルクソール到着。宿にチェックインして明日からの予定を考える。
通常、というかエジプトに来るほとんどの旅行者はツアーでエアコンの効いた快適バスに揺られ見所を回る。そしてここルクソールはエジプト中で最も見所の多くある場所なのだ。
そんなところを個人で来た俺がタクシーをチャーターしたり、ホテルのツアーに参加したりして回ったら金がいくらあっても足りない。ということで思いついたのはお得意のチャリンコ。本当はバイクレンタルでもあればよかったのだが、宿のおやじに相談したらチャリンコなら借りられるということだった。
ルクソール2日目の朝、涼しいうちにナイル河西岸を回ろうと、ナイル河東岸にある宿を7時頃出発。船着場に着き、地元民の利用するボロフェリーでチャリンコと共に西岸に渡り、爆走を開始。
メムノンの巨像やラムセウム、ハトシェプスト葬祭殿あたりまでは朝で涼しく、道も平坦だったので「楽勝、楽勝」と気分良く走っていた。
が、ハトシェプスト葬祭殿から王家の谷に向かう時にはすでに10時を回っていた。
5月のエジプト中部、午前10時にもなれば日もすっかり昇り、気温は30度を軽く超える。そして王家の”谷”と言うだけあって山間にあり、そこまでの道のりはずっと上り坂である。更に俺は日焼け止めを日本から持ってくることを忘れ、カイロでも「まあ、いっか」と調達しなかったのである。
観光バスにバンバン抜かれ、だらだらと永遠に続く坂道を、両腕がジリジリ焼かれて痛みながらもチャリンコで登る。
地元民にとっても、この炎天下に汗だくでチャリンコをこぐ奇特な外国人は当然興味の対象になり、沿道からは手を振られたり声をかけられたり・・・。サービス精神の塊である俺はそれに引きつった満面の笑みで応える。
がしかしなんと言っても王家の谷はルクソール西岸の観光名所の中で最も奥地にあるのだ。墓泥棒に見つからないとか、ナイルの氾濫から守るとか色んな事情があったのかもしれないが三千年後に俺がチャリンコで訪れるということをもうちょっと考慮して作ってもらいたいもんだ。
そんなこんなですっかり火傷したためにその翌日からは痛くて長袖しか着れず、真っ昼間は宿でおとなしくデレ〜っとして夕方から活動するようにし、ルクソールに3泊して更に南のアスワンに向かったのであった。
アスワンのあるヌビア地方はエジプトの中に組み込まれてはいるが、あくまでも”ヌビア”であり、カイロやルクソールと比べてはっきりと人種の違いが分かる。エジプト北中部の人達は顔つきも肌の色もどちらかというと中東に近いのだが、アスワンの人達はいわゆる我々がイメージするアフリカ人といった顔立ちだ。ある青年が「ここはエジプトではなくヌビアだ」とまで明言していたのが印象深い。
そしてとってもアフリカなここヌビア地方はとっても暑い。温度計など持ってなかったから正確には分からないがおそらく40度は超えているであろう。日中、日差しに照らされれば体感は50度になるに違いない。(もっとも50度を体験したことないので実際に50度いってたかもしれないのだが)ということで当然真っ昼間は”夏眠”する。
ここでの一番の目当てはアブ・シンベル神殿。
このアブ・シンベル神殿、実は俺にはちょっとした思い入れがある。幼い頃、家から近いという理由でよく行ったとしまえんに『アフリカ館』というアトラクションがあった。ジープに乗ってアフリカを体験するというものだが、そこの入り口に4体のラムセス2世像のうち左から二番目が崩れたオブジェ、つまりアブ・シンベルがあったのである。
それがなんだか分からなかったが幼心に強烈に印象に残っており、成長して雑誌やテレビなどでアブ・シンベルを目にする度に「あ、アフリカ館だ・・・」と思っていた。
しかしこのアブ・シンベル神殿、アスワンの南300キロ近くにあり、更に50キロも南下すればスーダン国境という位置にある。俺は自力で行くことをやめた。というか、もう暑くてうんざり。
宿のあんちゃんに頼んで日帰りでアブ・シンベルだけ訪れるツアーに参加した。午前3時に起こされ、他の宿で拾ってきたであろう欧米人の乗っているエアコンバスで行き、朝イチで観光客もまばらなアブ・シンベルを目にし呟いた、「おお、アフリカ館だ」
2時間の自由時間でたっぷりアフリカ館を堪能して昼過ぎには戻ってきた。そして”夏眠”
それでもアスワンに2泊し、3日目の夜行でカイロに戻ったのであった。
エジプト最終日の朝、宿の食堂で朝食をとっていると隣に白髪で眼鏡をかけた一見普通の欧米人が座って話しかけてきた。聞くとバルセロナ人だと言う。「カタルーニャ、カタルーニャ」と言い、決してスペイン人とは言わない。
バルセロナと聞いてこの俺がサッカーの話題を出さないわけもなく、ポロッと話題をふったら熱く15分ほど語られた。おそれいりやした。
その後、俺の旅の話などで盛り上がった。そして聞いた「エジプトにはどのくらいいるの?」すると「来月の13日にカイロからバンコクへ飛ぶ飛行機をネットでたったの230ユーロで買ったんだよ」と言う。そしてタイの話になった。
俺はタイには出たり入ったりして合計で2ヶ月近く滞在したことがある。が、このおっさん「ウドン・ターニーには行ったことあるか?ナコーン・ラッチャシーマーはどうだ?」と出てくる町出てくる町えらいマニアックなところばっかりである。俺もかろうじて名前ぐらい知ってるところばかりを上げ「ここはいい、あそこはいい」と言う。
聞けば今までに合計で1000日以上タイにいたと言うではないか。当然エジプトも初めてではないらしい。
そこで「明日からバンコクまでの一ヶ月何するの?」と聞くと「決めてない」と言う。「じゃあ、タイの次は?」と聞くと「分からん」と言う。そして続けて「明日のことを考えると気が散って今を楽しめない。そして明日のことを考えてる時間は今という時間を浪費している。明日はゴーストだ。夢、幻。だから明日の予定なんて分からないよ」と言った。
スペイン語訛りもなく流暢な英語を話すし、本当に見た目は普通のどこにでもいそうな欧米のおっさんだが、自分のラップトップを持ってこんな安宿に泊まり歩いてる。
若い時に何をやってて今どんな仕事してて何者なのか・・・なぁんてことを聞くのは野暮に思われたので聞かなかったが、久々に愛すべきクレイジーなおっさんに出会い、なんとなく気分良くエジプトを後にしたのであった。
