

ボーダーを越えたとたんに雰囲気がガラリと変わる。
ベトナムで主流だったバイクタクシーではなく、タイで主流のトゥクトゥクに乗る。言葉もタイ語の「サワッディー、カ」に対してラオ語の「サバイディー」。なんとなく帰ってきた気がして精神的に落ち着いた。天気もすごくいい。
ラオスビザの有効期間は2週間。ベトナム国境のサバナケットを朝出て首都のビエンチャンに夜着き、一泊して朝出発して世界遺産の町ルアンパパーンに到着したのが夜。
目当てのゲストハウスに行くとドミトリーが一杯だった。この時間の到着なら当然か。
猛烈な移動で疲れていたせいもあって、近くのゲストハウスで唯一空いていた4ドルのツインルームにチェックインする。
荷物を置き、飯でも食おうと外に出て、屋台目指して歩いていると、先ほど断られたドミトリーから見た顔が。
タイのカンチャナブリーで知り合い、バンコクで3泊共にしたY氏ではないか。
俺と別れた後、彼はタイを北上して今夜、俺より一足先にルアンパパーンに着いたらしい。
・・・お前のせいで俺がドミトリーに泊まれなかったんじゃねえか。
とにかく再会を祝して飯を食いに行った。
翌日には安いドミトリーが空いて俺が移り、更にタイでY氏が出会ったN氏も合流して3人でルアンパパーンを過ごすことになる。とは言ってももともとそれぞれ一人ずつで旅してるバックパッカー。四六時中一緒にいるということはなく、昼間別行動をしていて、なんとなく晩飯は一緒に食べるという具合であった。
そしてその次の日、この旅2度目の悲劇が俺を襲うことになる。
今度の原因は明らかだ。日中屋外で売れずに日焼けしていたてんこ盛り焼きそば。
これが見た目はめっちゃうまそうで、見事にビジュアルに騙された俺は、むしゃむしゃと食らいついたのであった。
それから3日間、日に日に下痢が酷くなり、水を一口飲んだらその足でトイレに駆け込むという具合であった。
ある夜、ラオス風のうどんを出す屋台があるということで、食欲は全くないがとりあえずY氏とN氏について行った。
見た目にも本当に日本のうどんのようだったが、水を飲んでもトイレに駆け込む俺はどうしても食べる気になれなかった。
2人がうまそうにうどんを食ってる横で、バナナを売ってるのを発見。
これなら食えそうだ、と思い一房買ってむさぼる。口の中でバナナが咀嚼され、食道を通って胃に到達した瞬間に逆流して戻ってきた。たった今食ったバナナをあっという間に吐いたのである。
そして俺は2人に病院に連れて行かれた。
学校の校舎のような平屋の病院には明かりが灯っていた。
ジャネット・ジャクソン似の可愛い顔をした女医に症状を説明すると、診察台に寝かされ、今までに見たこともないほどぶっとい針の注射器が出てきたと思ったら、ズボンをめくられケツ注射された。・・・なんという辱め。そしてそれが声も出ないぐらい痛い。
その後1時間ほど点滴を打ち、薬ももらわずに帰され、翌日には完全復活していた。
アジアの菌はアジアで殺せってなもんだ。
すっかり体調も戻ったところで、”地球の歩き方”には載ってないが”LONELY PLANET”に載ってるノーン・キャウという村に行こうということになった。
バスなんてもんではなく、トラックの荷台に揺られながら山道を行くこと4時間。
山間に川が流れ、大きな橋が架かり、電気は朝6時から夜7時までで、その後はろうそくに頼るという村に到着した。
バンガローにチェックインしてらふらっと外を歩いていると、10歳にも満たないであろう女の子が近づいてきた。
手には小さな花が握られてる。その辺で摘んできたのだろう。その花を俺の方に差し出した。「ありがとう」とその花を受け取ると、俺の手首を指差した。
タイで安く買ったアクセサリーをいくつか着けていたのである。「これと交換か?」と俺が外そうとすると首を横に振る。
そしてもう一度手首を指差した。
その時、長髪とまではいかないが、長旅で髪が伸びていたために髪をとめる黒いゴムを手首にしていたのである。
田舎村のけなげな女の子はジャラジャラと派手なアクセサリーよりも髪をとめる無地のゴムを欲しがっていたのだ。
物々交換の原則。俺は小さな花をもらい何の変哲もない単なるゴムをあげた。その時の少女の嬉しそうな笑顔が印象的であった。
そんな村で3日間過ごし、ビザ切れギリギリでタイとの国境であり、首都でもあるビエンチャンに戻ってきたのである。
そしてふと気づく、「ああ、そう言えば日本を発つ時に持ってた飛行機のチケットは2ヶ月のオープンだから、今日バンコクから飛ばなきゃいけなかったんだなぁ。」
帰国を諦め、Y氏とともにこの旅4カ国目のカンボジアに行くことにした。

