DIARY
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 ネパール人住職とともに空港を出るとアジアならではの不特定多数による熱烈な出迎えが待っていた。
しかしながらそこはネパール人。彼には本物の出迎えがあったのである。お兄さんだ。
彼の実家が近いので一緒にタクシーに乗って行け、と言われ遠慮なく同乗させてもらう。
実家に到着し、お茶でも飲んでけ、と言われ遠慮なくお邪魔する。タクシーの運転手も遠慮なくお邪魔する。
家に入るとお母さんやら姪っ子やら総出のお出迎え。

2時間ほど経過し、久々の一家団欒を邪魔するのも申し訳ないと思い、「そろそろ宿探しに行く」と言うとずっと俺の横にいたタクシーの運転手が「それじゃ、俺も帰るついでだから安宿街まで乗っけてってやるよ」と言う。・・・ついでじゃなくてそれがお前の仕事だ。
家を出るときに住職に電話番号を渡され、明日待ち合わせて飲もう、と言われた。

 翌日、昼間のうちにある程度観光を済ませ、夕方住職に電話して宿の近くで待ち合わせ繁華街に繰り出す。
この住職、よく飲むしよく喋る。店を2軒、3軒と代え、明け方の5時ぐらいまで飲んだ。
札幌在住ネパール人住職とカトマンドゥで政治、経済、国際情勢、しまいにはエロ話まで、語り明かした。何してんだ?俺。
住職と別れ、宿に戻って眠るが9時過ぎには目が覚めた。頭がガンガンする。しかしそういうときに限っていったん目覚めると寝付けない。
バスの時刻表を見ると、今急げばヒマラヤの麓の村であるポカラ行きのバスに間に合いそうであった。
そうだ、俺はヒマラヤを見に来たのであってこんなとこで飲んだくれてる場合ではない、と思い急いでパッキングしてチェックアウト、タクシーを捕まえバスターミナルへ。
バスターミナルは全てヒンドゥー語表示で何がなんだかさっぱり分からなかったので、タクシードライバーについてきてもらい、窓口で切符を買ってバスに乗り込んだ。
ボロボロのローカルバスで8時間。外国人は俺だけ。ネパール人が酔って吐くほどの峠道。隣のおばちゃんが物凄く優しくしてくれたのが幸いだったが、とにかくフラフラでポカラ到着。
ゲストハウスにチェックインするとろくに飯も食わずに寝てしまった。

 翌日、窓から差し込む朝日に目覚め、外を見ると快晴で澄んだ空気にヒマラヤがくっきりと見えた。
ポカラはカトマンドゥ同様盆地になっており、近い山は5月ということもあって青々としている。その低い山々の上にまるで宙に浮いた白銀の箱舟のようにヒマラヤ山脈が見えるのだ。
アンナプルナやマチャプチュレの形がはっきり分かる。「すげえ!」の一言だ。
ゲストハウスのスタッフによると今はシーズンオフなのでこんなにきれいにヒマラヤが見えるのは珍しいということだった。
5月がシーズンオフだとは知らずにヒマラヤを見に来る俺もアホだが、二日酔いでも無理してここまで来た甲斐があったというものだ。実際、ここまではっきりヒマラヤが現れたのはこの日だけであった。

 その後、こののんびりした村に4日間滞在し、ヤマハ100ccバイクを借りて走りまわった。
ある時、安食堂で飯を食ってると、はす向かいにいた若者に声をかけられた。
彼はチベット難民らしい。そういえば、顔がネパール人とは明らかに違う。
ネパールにはチベットの難民キャンプが多数あり、カトマンドゥなどはチベット仏教の寺院も数多く見られるのだ。
彼はネックレスやブレスレットなどを自分で作り、観光地に下りてきては売り歩いてるということだったが、そこは商売人としての心得があっていきなり売り込みなどはせず、まずは俺にチャイをおごり、世間話を始めた。
仲良くなったアメリカ人と湖でボートを漕いでいたら突然暴風雨になり、転覆しかかった話や難民キャンプの様子などを語り、興味があるなら難民キャンプに連れてってやるから明日もこの食堂に来てくれとのことだった。
翌日、昼飯を食いに同じ食堂に行くとやはり彼がいて前日同様、俺にチャイをおごり、世間話を始めた。
飯を食って俺が「難民キャンプへ連れてってくれ」と言うと、「オーケー。だがその前に俺の作ったアクセサリーを見ないか?」と言われた。まあ、俺としてもタダで連れてってもらおうとは思ってなかったからネックレスの一つでも買ってやるか、と「見せてくれ」と言った。すると「ここじゃ見せられないから外に出よう」と言う。
展開として、ここで路地を入った薄暗いボロの小屋にでも連れてかれるとかであれば、推理小説よろしくとなるのだが、食堂を出て数メートル歩いたところでおもむろにデイパックから布を取り出して路上に敷き、その上にアクセサリーを並べ始めた。単に食堂の主人の目を気にしていたらしい。
で、そのアクセサリーだが、いまいち俺の趣味とは合わない。あれはどうだこれはどうだとしきりに売り込まれるが、どうにも欲しいと思う物が見当たらない。
吟味した結果、やはり欲しくもない物を買うこともないと思い。「欲しい物がない」と素直に言うと「じゃあ、値下げする」とか「難民キャンプに行きたくないのか」と言い出す。
いや、そういうことではなくて単に欲しい物がないんだよねぇ、と思いつつ「いらない」と言ったら「バカヤロ」と言いやがった。
唯一出てきた日本語が逆切れまかせのその言葉かい!
うんざりしてその場を後にしたのは言うまでもない。

そんなこんなでカトマンドゥに戻り、例の住職に電話して帰国前日にまたもや飲んだくれたのであった。


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