デリーには夜着いた。思ったより寒い。
タクシーを捕まえ、安宿街のあるニューデリー駅へ行けと告げる。これが失敗だった。
街へ向かって走ってはいるが、一向に駅には着かない。「まだか?」と聞くと「駅がどこか分からない」と言う。お前の職業は何だ?なんで分からないのに空港からここまで来たんだ!と腹ん中でつっこみつつ。「じゃあ他のタクシーに乗るから降ろせ」と言ったら、「他のに乗ってもここから駅までは遠いぞ」と言う。・・・突っ込むところが多すぎるのであえて書かない。
とにかくそんなこんなでその運転手の知り合いのツーリストインフォメーションに連れてこられた。
まあ、そんなことは他の国でも経験済みなので、ハイハイ、という感じで入っていった。奥から片言の日本語を話す奴が出てきて、俺の旅行日程と値段を勝手に決めるのも他国で経験済み。
適当にあしらってツーリストオフィスから出てくると、タクシーの運転手が待っていて「決まったか?」と聞く。(決まるかボケ!)
「いいから駅に行け」と言うと「OK」と言って走り出した。
暫く走ったと思ったら、あるホテルの前で止まり、「知り合いのホテルがあるから」と言う。レセプションで値段を聞くと300USドルらしい。バカにするにもほどがある。
「No!」と言った瞬間から根競べが始まった。次から次へとホテルを紹介され、「No!」と言うたびにその次のホテルでは提示値段が下がっていく。面倒な奴だ。
気づいたら夜11時をまわっていて、他のタクシーもあまり走ってない。
空港からさっぱり分からない方向にタクシーで走って来られ、深夜になろうかという時間に強引に降りたところで危ないだけだ。この時点ですでに駅の周りの安宿街は諦め、いかにこいつの紹介する宿を安くするか、という状態だった。
結局20USドルツインベッド、バス・トイレ、ホットシャワー付きで俺が根負けした。初戦敗退。
ちなみにあっちこっち走ったが、タクシー代は最初に提示した150ルピーしか払わなかった。せめてもの俺の意地だ。
翌朝、帰りにまたデリーから飛ぶのでデリー観光はせずにアーグラー行きを決め、チェックアウトするべくレセプションに降りていく。するとそこのソファに座っていた若者が「どこに行くんだ?」と聞いてきた。「アーグラー」と答えると「俺も昨夜このホテルに泊まっててニューデリーの駅に行くから一緒にタクシーに乗っていこう」と言う。一緒に駅まで行くだけならと了承した。
タクシーに乗り込み、若者がヒンドゥー語で行き先を告げる。
そして着いたところは雑居ビル。彼の知り合いのツーリストインフォメーション。・・・どいつもこいつも。
そいつを振り切り、その辺を流しているリキシャーを捕まえ「ニューデリー駅」と告げる。
数十分走って着いたところはオールドデリー駅だった。リキシャーのおっちゃんに地図を見せ、ニューデリーとオールドデリーの違いを指差して「ニューデリへ行け」と告げる。なんで俺がインド人にこれを説明せにゃならんのだ。
悪びれるでもなく走り出したのだが、ある交差点でたまたま隣に来た別のリキシャーのおっちゃんに何か聞いてる。何やら議論した結果「そっちのリキシャーに乗り移れ」と言われた。おっさん、結局わからんのかい!
仕方なく乗り移ろうとすると料金を要求された。あまりの傍若無人ぶりに思わず払ってやった。
なんとかニューデリー駅にたどり着き、外国人専用窓口のある2階に向かう。その2階に上がる階段のところにおっさんが数人並んで座ってて「正月だから上のオフィスは開いてない」と言って通してくれない。「じゃあどうすればいい?」と聞いたら駅の向かいにツーリストオフィスがあるからそこへ行けと言う。まただ。
とりあえずツーリストオフィスに行き、話しだけは聞いて、「No!」と言う。すると、駅からついてきたおっさんが「次はあそこのオフィスだ」と言ってまたたらいまわし。しまいにはタクシーまでチャーターしやがって、10軒ぐらい連れて行かれた。
この国はとにかく目的地にたどり着けない。
いい加減、列車に乗らなきゃ、と「お前の紹介するところはダメだ」と言って、勝手にチャーターしたタクシー代は払わずに、駅の2階に上がって普通に列車の切符を買った。大変愉快な国だ。
アーグラーは世界でも有数の美しい建造物であるタージマハールがある。それ以外は何も無かったが、意外と居心地が良く、3日も滞在してしまった。
そこからバラナシに行ってしまえば良かったのだが、その手前にあるカジュラホ村がどうしても気になったのでとりあえず行くことにした。
ジャンシー駅からカジュラホまではバス。途中、地元の人達が大勢乗ってきて乗車率300%ぐらいになった。
一番後ろの座席に座ってたら英語を話せる奴が恐る恐る話しかけてきた。「お前はどこに住んでるんだ?」と聞かれたので「I live in the moon」と言ったら、「あいつ月に住んでるって言ってるよ」みたいな感じで(ヒンドゥー語でよく分からないが)前のほうにいた連中も大混雑の中、俺に興味を示し始めた。この感覚がたまらない。
ベッドが2つあって、冷水がちょろちょろっと出るシャワーと、桶で水を流す式のトイレが付いて90ルピー(約230円)、しかも宿のおやじはすごくいい奴、という最高のゲストハウスを見つけ、チェックイン。
晩飯を食いに外に出ると、そのゲストハウスの前で焚き火にあたっていた一人の青年が話しかけてきた。「メシを食いに行く」と言ったら「インドの夜は危ない」と言ってついて来た。お前の方が危ないわ。
そいつとレストランに入り、俺はカレーを頼んだ。そいつは何も頼まず、座っていた。「チャイでも頼め」と言って、店員を呼んだ。チャイぐらいはおごったるわ。
飯を食いながら話していると、店の前を通りかかった別の青年をそいつが呼び止めた。兄らしい。そして同席する。
と、その兄が英語でぺらぺらと話し始めた。「この国をどう思う?デリーに行けば、高層ビルも建っているし、IT技術者も世界中で活躍している。でもそれはほんの一握りのひとたちだけであって、大半の国民は貧困にあえいでいる。政治家は自分の利益だけを追求して助けてくれない。子供たちは勉強が好きで、勉強したくてたまらないのに金が無くて学校にも行けずに家の仕事を手伝っている。俺はそんな子供たちに勉強を教えている。もしよかったら明日授業を見に来てくれ。午後一時にこの店で待ち合わせよう。」
結局この店の支払いはその兄が持った。俺は自分のカレーの分だけでもと思ったが払わせてくれなかった。
次の日、待ち合わせの場所に行ったら彼らはもう来ていた。インド人の割には時間守るじゃんか、と思いつつその店を出て彼の学校に向かった。
そこはスラム街。舗装もされてない路地には乳飲み子を抱え、栄養失調でガリガリの母親がヨレヨレのTシャツを着た俺を羨望の眼差しで見つめる。裸足の子供たちが走り回り、働き盛りの若者の姿は見えない。
日干しれんがを積んだだけのような家の壁にホワイトボードが吊るされ、どこからとも無く子供たちが集まってきて授業が始まった。歳は小学校に上がるか上がらないかぐらいの子供たち。ちっちゃい黒板のような板を持参し、チョークで文字を書いては消してまた書く、という具合だ。
教わってたのは英語のABCや、算数の簡単な計算。じっと見てる俺に兄が「なんか教えてやってくれ。」と言ってきた。
とりあえず英語のAからZまでの読み方や、簡単な英単語を教える。
教職免許を持ってるわけでもないし、そもそも日本人だ。それでも子供たちは俺の口から出てくる単語に必死に耳を傾け、復唱する。勉強が嫌いで仕方ないのに日本でなんとなく大学まで出てしまった自分が恥ずかしくなった。
その夜、スラム街にある彼の家に招待され、大量のカレーとビールでもてなされた。
彼らはヒンドゥー教徒。酒はあまり飲まないはずなのに、客人のために弟が町に行ってビールを買ってくる。俺には一銭も出させない。
彼は5人兄弟の長男、このスラム街で育った。11歳の時に父親が死に、病弱の母親に代わって、一家を支えなくてはならなくなった。毎日早朝から深夜まで働き、暇さえあれば町に行って観光客と接して英語を覚えた。
彼は言う。「金は生きてく為には必要だけど、それ以上にマインドが大切。大金持ちにはならなくても良いが、最低限のマインドとハートを充実させる手段としての学力を子供たちが身につけてくれればそれで満足だ。ここの子供たちは勉強が好きだ。俺はその子供たちが喜ぶ姿を見て喜ぶ。今の彼らに家の仕事などさせたくない。」
結局、母なる大河、ガンガーにはたどり着けなかったが、それ以上のものを見たと思う。
