THAILAND
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 ドン・ムアン空港に降り立つとナンプラーの独特の臭いが鼻を刺激する。
初のアジアだが感慨に浸る余裕などなく、今夜にはカオサンロードに辿り着かねばならない。
機内でガイドブックを読み、空港からバンコク市内の中央駅に行き、そこから歩ける、と安易に思いつき鉄道駅へ。
窓口で「ホワランポーン、ホワランポーン」と行き先を連呼して切符を買い、列車に乗り込み、窓側に陣取ってやっと初アジアの思いにふける。
もうすぐ12月だというのに体中から噴出す汗を窓から入ってくる生暖かい風で冷やしながら外を見ると、線路脇の民家では母親が夕餉の支度に追われ、子供たちは上半身裸で駆けずり回っている。遠くに目をやると大地に沈む大きな夕日が拝める。間違いなく日本ではない。間違いなくアジアだ。

と、センチになってるのも束の間。目的地のホワランポーン駅に到着。
俺の予定・・・というか俺の思いつきでは、ここからカオサンロードまで歩いて行くのだ。
すでに夕日も沈み、方向もよく分からんがなんとなくの感覚でとりあえず歩き出す。
日本語表記のない見知らぬ大都会でなんとなく歩き出して目的地に着けるわけがない。
1時間ほど歩いてふと思う「・・・失敗した」
自分がどこにいるかも分からずになんとなく地図を見ながらさらに1時間ほど歩き、諦めてタクシーを捕まえる。
初めての料金交渉だ。
「カオサンロード、ハウマッチ?」と聞くと若いタクシー運転手は「100バーツ」と言う。
成田から飛んできて、バックパック背負って迷いながら2時間歩いてヘトヘトな俺は「オーケー、オーケー」と満面の笑みでタクシーに乗り込んだ。交渉もクソもあったもんではない。
そんなこんなでとにかくバックパッカーの聖地にたどり着き、手ごろなゲストハウスを見つけて泥のように眠り、長い旅の幕が開けたのであった。

 翌日から、バンコクの寺めぐりや、ムエタイ観戦など一通りのことはやり、バンコク到着から5日目にして早くも移動開始。
まずはタイで最初に王朝が誕生したスコータイへ。
ホワランポーン駅から最も値段の安い、硬い木の椅子で揺られること10時間。途中、ピサヌロークで1泊してそこからバスでスコータイへ。
『世界遺産公園』の外にある手入れのされてないほったらかしの遺跡に心を奪われ1週間滞在。
その後、ランパーンというなあんもない町で無駄に1泊してチェンマイへ。
チェンマイにはあまり心惹かれず、一気にアユタヤまで南下。
この間、ほとんどの移動は最安の硬い木の椅子の列車であった。ツーリストバスではなく、たまたま横に座った一般のタイ人のおっちゃんにカオニャオを食わしてもらったり、おばちゃんに「あんたの目的地に着いたから降りなさい」などと教えられてるうちにこの列車が気に入ってしまった。

 そしてアユタヤ到着日の夜に事件は起こる。
ゲストハウスのシングルルームで今までの人生にないほどの腹痛に襲われたのだ。
とにかく腹が痛くて立ってられず、ベッドに横になって脂汗でシーツがびっしょり。共同のトイレを占拠して何時間座っても何も出ず。
ずっと痛いのは痛いのだが、その痛さにも波があり、ある程度痛みに慣れてしまったこともあって脂汗でびしょびしょになりながらも何とか朝まで我慢して、ゲストハウスのおねえちゃんに「病院はどこだ?」と聞く。
するとこともあろうに「I don't Know」を繰り返すではないか。この掃除のおねえちゃん英語通じないのか?
とにかく話にならんし、そうしてる間にも激痛が更に激しくなるばかりなので、「チェックアウト」と言い、そのおねえちゃんに金を渡して外に出る。
走ってるトゥクトゥクを捕まえ「ツーリストポリス」と言うとあとはもう一言も喋る気力がなくなった。

 その名の通り観光客の為のポリスに到着し事情を説明すると、真っ白い顔で脂汗流してる日本人にのんびりタイ人のポリスもさすがにヤバイと思ったのか、すぐさまバイクで病院へ連れて行ってくれた。
病院内は全てタイ語表記で、おまけにえらい混雑。自力で行っても何がなんだか分からなかったであろう。
俺を連れてってくれたポリスが手続きから何から全てやってくれ、しかもどういうわけか俺より先に来て並んでいる人達をよそにさっさと病室へ通された。”急患”とでも言ってくれたのだろうか。実際これ以上ないほどの急患であったが。
医者に病状を訴えると、英語で医療用語されよく分からなかったが、おそらく菌であろう。
診察を終え、2週間分の薬をもらい、保険なんてものは使わずに100バーツぐらいだったであろうか。腹が痛くていくらでも構わないと思っていたのだが、とにかく安くて驚いた記憶がある。

 ツーリストポリスへ戻ると、「今夜の宿は決まってるのか?」と聞かれ、「ノー」と答えると「とりあえず痛みが治まるまでここで寝て行け」とポリスステーションの奥の部屋へ通された。
そこには2段ベッドがあり、薬を飲んで昼頃まで寝たら、激痛がケロッと治った。
目覚めた頃にポリスがやってきて「飯食うか?」と聞く。腹痛は治まったがまだ食欲はなかったのでそう告げると「医者に無理してでも食べて薬飲みなさいって言われただろ」とタイヌードルを持ってきてくれたので、「金払うよ」と言ったが結局彼は受け取らなかった。
親切を仇にできず、無理して食って薬飲んだらまたしても睡魔に襲われ、夕方まで眠ってしまった。
目が覚めそろそろ今夜の宿を探しに、とポリスに何度もお礼を言ってポリスステーションを後にした。

 その後1週間かけてアユタヤを堪能し、『戦場に架ける橋』で有名な西のカンチャナブリーを訪れた。
ここで大阪出身のY氏と知り合う。
旅は道ずれ。彼はタイを北上するため、そして俺はベトナムに飛行機で飛ぶために一緒にバンコクに戻り、3泊宿をシェアしたのであった。


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